これは在学中に書いた現代美術のレポートです。
現代美術特論レポート
0071001 古賀
「Pre 2001 Project きつねと炭鉱」芸術家の見た現代日本の神話と現実 The Coal Mining and the Fox Story〜20世紀の終わりにいいたいことがある〜 絵と写真と音のコラボレーション |
○ 富山妙子 今回展示されていた「桜花幻影」と「菊花幻影」は、掛け軸のような形態をしていた。上部と下部にはそれぞれ刺繍が施されていて、かなり布の厚みがある。「桜花幻影」には、満開の桜の下できつねたちが「祝 出征 狐堅忠助君」と書かれた旗と国旗を持ち、更にその下にはたくさんの骸骨がひしめきあっているという状況が描かれている。「菊花幻影」には、都心のビル群を背景に、菊の紋章上に舞い降りてくるきつねの姿が描かれている。どちらにも共通して描かれているのは月・花・骸骨・きつねであり、その幻想的な世界からは儚さも感じられる。一見きつねが人間のような姿をしていてユーモラスに見えるが、その霊獣的な怪しさが人間の醜悪さをうまく捉えている。 富山妙子はスライドや映画の原作・絵本の挿絵など様々な手法で作品を作り出し、幅広く活躍しているアーティストである。扱っているテーマは「戦争」「従軍慰安婦」「炭鉱」など、アジアの歴史的・社会的な問題が多い。というのも彼女の作品には原風景として、幼い頃過ごした旧満州(肉親と別れた地である黒龍江省ハルビン市)での印象が色濃く反映されているからである。彼女がきつねをモチーフにするようになったきっかけは、高橋悠治の「きつね」というコンサートであると記されている。私たちは描かれたきつねの姿を通して、人間のしてきたことを再認することができる。作者自身それを望み、次のような文章を残している。「敗戦後、きつねは幻術により過去を穴に隠して世界有数の大金持ちになっていた。きつねの子らは菊の花のかげで贅沢三昧の生活をおくっていた。化かした黄金は泡沫(バブル)にあってゴミになったり、海の向こうから新しい風が吹いてくる。きつねが隠したはずの過去を乗せた船が、アジアのいろんな国からやってくる。」(「きつねと炭鉱」パンフレットより抜粋) ○ 本橋成一 炭鉱で生活している人々を写した作品は、乳剤を染み込ませたダンボールに焼き付けられている。乳剤の塗り方にムラがあるため、ダンボールの質感を残したまま、じんわりと中央から黒い色が浮き出してきたように見える。写されているのは炭鉱での葬儀に出席した人々の数珠を握り締めるたくさんの手と、そこに暮らす兄弟の笑顔。テーマとされている1965年の筑豊は石炭産業の衰退期であり、土門拳の写真集によって注目を浴びていた。このような社会批判的作品は、フォトジャーナリズムにありがちの「強烈な印象を与える悲惨さ」で訴えていくことに終始してしまうことが少なくない。しかし本橋成一は、そうした面から捉えることはしなかった。 本橋成一は「炭鉱=ヤマ=」によって「太陽賞」を受賞した後、チェルノブイリに足を運んでいる。近年になって「ナージャの村」という作品を発表。映画と写真の両面から、汚染地域で生活を続ける人々の姿を描いている。危険であると言われ続けている土地を愛し、人間が引き起こした出来事として業を背負い、その厳しい状況を受け止めながらも逃げださずにいる人々の姿勢はとても強く、美しい。写真には村人のひたむきさ、素朴さ、純粋さが滲みでている。彼の作品に共通してあらわされているのは、「いのち」であると言える。それも失われた「いのち」ではなく、残された「いのち」である。この本橋成一の視点は大切にしたい。 まとめ 二人のコラボレーションは副題にもあるように「20世紀の終わりにいいたいことがある」こととして、2001年を直前にして行われた。石炭・石油・核とエネルギー変革を地盤に高度経済成長を遂げ、物質的に豊かになった社会の裏側に存在する「忘れかけられた問題」を思い起こさせるのに充分な内容だと感じた。 『一つの芸術作品は、そこに提示される観察者によって構成されることを要求する。どの芸術家たちの創造も観客を必要とする。観客の注意をひきつけられない芸術家は、例え作品の中に利点が存在するとしても失敗者である。しかし素晴らしい芸術作品は観客の知覚を刺激し、導く。そして単に鑑賞的に受動的に従うものではない。』(Gordon Graham) 彼らの作品は実に感覚的知覚的に魅力があり、かつそれぞれの作品の意図が明確に示されているものであった。作品を目にした人々の多くは、社会的問題の負的な印象を受けるだけではなく、21世紀を担う者としての自覚を持つことができたのではないだろうか。 ○ 参考文献 「きつねと炭鉱」パンフレット きつねと炭鉱実行委員会 |
富山妙子(美術家)プロフィール | |
1921 | 神戸市で生まれ、少女時代を旧満州、大連とハルピンで過ごす |
1938‐45 | 東京女子美術専門学校(現女子美大)中退―戦争 |
1950年代 | 画家の社会参加として鉱山・炭鉱をテーマとする |
1970年代 | 韓国の詩人、金芝河(キム・ジハ)の詩をテーマとして制作 |
1976 | 新しい芸術運動として、詩と絵と音楽によるスライド作品を自主制作するために火種工房を主宰し現在に至る |
1980 |
「倒れた者への祈祷・1980年5月光州」版画巡回展 |
1982‐83 | パリ・ベルリン・ハイデルベルグ・ミュンヘンにて巡回展 |
1984〜 | 東京と関西で個展と映画「はじけ鳳仙花」上映 |
1986 | 朝鮮人従軍慰安婦をテーマとしたシリーズを制作 |
築地本願寺境内で佐藤信演出 黒テント公演「海鳴り花寄せ」 | |
1988 | 富山妙子ロンドン・ベルリン展 |
1991 | タイの出稼ぎ女性をテーマとして制作 |
1992 | 「エロース・我が痛み 富山妙子展」 |
1993 |
「アジアへの視座‐帰らぬ少女原画展」 |
1995 | 戦争50周年記念企画・富山妙子 |
9月第一回光州ビエンナーレに招待作家として出品 | |
1997 | 「慰安婦へのレクイエム・富山妙子作品展」 |
1998 | 「From The Asia」(ホン・ソンダムとの二人展) |
「きつねと炭鉱」パンフレットより抜粋 | |
本橋成一(写真家・映画監督)プロフィール |
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1940 |
東京生まれ |
1962 | 自由学園卒業 |
1964 | 東京綜合写真専門学校卒業 |
1963 | 九州・北海道の炭鉱の人々を撮りはじめ、その作品(「炭鉱=ヤマ=」)によって、1968年第五回「太陽賞」受賞以後、なま身の民衆像を追いつづけ、サーカス・上野駅・築地魚河岸などが主要なテーマとなる。 |
1991 | 事故後5年を経たチェルノブイリおよびその周辺に通いはじめ、 |
1995 | チェルノブイリの汚染地域で暮らす人々を撮影した「無限抱擁」で「日本写真家協会年度賞」「写真の会賞」を受賞 |
1997 | 「ナージャの村」を映画と写真で映像化する |
映画「ナージャの村」が第八回文化庁優秀映画作品賞受賞 | |
1998 | 97年に開かれた写真展「ナージャの村」で「第十七回土門拳賞」受賞 |
第四十八回ベルリン国際映画祭正式招待作品となる | |
現在第二作目の「アレクセイと泉」を製作中 |
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「きつねと炭鉱」パンフレットより抜粋 |
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